心清浄なる時は即ち仏を見 若し心不浄なる時は即ち仏を見ず

心清浄なる時は即ち仏を見 若し心不浄なる時は即ち仏を見ず

私達の心が清らかな時は心に仏が現れるし、もし心が乱れている時は心に仏が現れる事はない。弁顕密二教論 巻下



物の荒廃は必ず人による。人の昇枕は定めて道にあり

物の荒廃は必ず人による。人の昇枕は定めて道にあり

物事が発展するか衰退するかは必ず人によるものであり、人が輝くか曇るかは正しい教えを受けるか受けないかによるのである。つまり正しい教えを受ければ人は輝き、道も開けてくるのである。  性霊集巻十



もし恵眼をもってこれを観ずれば、一切の衆生はみな、これわが親なり。

もし恵眼をもってこれを観ずれば、一切の衆生はみな、これわが親なり。

佛の眼をもって世界を観れば、ありとあらゆるものは全て自分の親であり、尊ぶべき存在である。 教王経開題



性欲に多種あれば 医王薬鍼を異にす

性欲に多種あれば 医王薬鍼を異にす

衆生の性質と欲求はさまざまなれば、大日如来の治療法もいろいろである。仏陀世尊の教えは、その教義と利益がもっとも幽玄である。  三教指帰



日月空水を光らす 風塵妨ぐるところなし

日月空水を光らす 風塵妨ぐるところなし

太陽と月とが大空と大海とを隙間なく照らしている。そこには風や塵などに妨げられる所は一つもない。良いこともそうでないことも、本質的には同じく真実として存在しているのであり、我も人も皆変わりないものであって、隔たりなどないのである。 (性霊集)



もし自心を知るは、すなわち仏心を知るなり。仏心を知るは、すなわち衆生の心を知るなり。

もし自心を知るは、すなわち仏心を知るなり。仏心を知るは、すなわち衆生の心を知るなり。

自らの心の本源は限りない光に満ちている。それは仏の心そのものであり、内なる曼荼羅である。曼荼羅は自らの心とすべての人々の心とをつないでいる。自心と仏心と衆生心とは平等なのである。 (性霊集)



「一刹の深信は、なおし珠玉のごとし。十方の諸仏、何ぞ証明せざらん。」

「一刹の深信は、なおし珠玉のごとし。十方の諸仏、何ぞ証明せざらん。」
一刹那のことであっても、深い信心で祈念するならば、それは珠玉のように尊いものである。十方の諸仏がそれに答えないはずがない。(念持真言理観啓白文)

「一鳥声有り人心有り 声心雲水倶に了了」

「一鳥声有り人心有り 声心雲水倶に了了」
鳥の声とわが心とが響き、声と心、雲と水が解け合う。そんな一瞬を味わうこ事がある。その中に永遠があるのである。(性霊集)