密教のお話

密教とは

お大師さまの教えは、一般的に真言密教(しんごんみっきょう)と呼ばれています。密教とは秘密の教えということであって、顕教(けんぎょう=あきらかな教え)という言葉に対比して使われています。

 インド大乗(だいじょう)仏教が衰退期に入った三世紀頃、歴史的人物としての釈迦(しゃか)の教えに限定された顕教に対し、庶民の間から呪術や密法の影響を受けた別の派がおこりました。呪術を行う時にマントラ(真言・ダラニ)という短い呪文を唱え、また印を結ぶなどして、災難や苦しみを払い福を招くことを目的としたものです。この段階では、行者の悟りとか大宇宙との合一が説かれることはありませんでした。

 その意味で、今日の真言密教の思想的な基盤が成立するのは、七世紀中ごろから末期にかけてできたと伝えられる『大日経(だいにちきょう)』および『金剛頂経(こんごうちょうきょう)』の両経典の誕生頃と考えられます。『大日経』や『金剛頂経』といったインド中期の密教経典は、身・口・意の三密(さんみつ)の瑜伽(ゆが)を基盤とした成仏の方法を具体的に説いたもので、行者の手に印契(いんげい)を結ぶ身密、口に真言・陀羅尼を唱える口密、心を三摩地(さんまじ=精神が統一された状態。三昧(さんまい)ともいう)に置く意密、この三種の秘密を一体化させるのが三密相応の瑜伽行です。瑜伽、つまりヨーガは、二つのものを一つにすることとも言え、有限なる自身の中に無限なる大日如来(だいにちにょらい)の生命を見出すことなのです。

即身成仏とは

即身(そくしん)とは「ただちに、すみやかに、この身のまま」を意味します。現実に存在する行者の身体そのものは成仏に至る基本的な素材なのであり、行者は本来的に仏性を備えており、それを覚ることが肝要となります。時間を超越しているから「即」、肉身を基本とするから「身」。つまり、この身のまま覚りに到ることが「即身成仏」なのです。

 お大師さまは「真言は不思議なり、観誦(かんじゅ)すれば無明(むみょう)を除く。一字に千理を含み、即身に法如と証す」と、『般若心経秘鍵(はんにゃしんぎょうひけん)』に述べられています。

 密教ではこの「即身成仏」に至るために、以下のような三密を実践し修行します。

身(手に印を結ぶ)

  右の五指を各々左の五指の上にして指頭の部分を交叉する金剛合掌(こんごうがっしょう)と、臍(おへそ)の側に左手の掌の上に右手の掌を仰げて重ね、両方の親指の先を着くか着かぬほどにする法界定印(ほうかいじょういん)が代表的。

口(真言を唱える)

念誦の遍数には三遍・七遍・百八遍・千遍、そして十万を意味する洛叉(らくしゃ)があります。また、唱え方には次のようなものがあります。

  1. 声生念誦
    自身の心の蓮華(れんげ)の上に法螺貝(ほらがい)があってその貝から声を出すように唱える。
  2. 蓮華念誦
    唱える声が自分の耳だけに聞こえる。
  3. 金剛念誦
    唇歯を合わせて舌端を少し動かして唱える。
  4. 三摩地念
    誦舌をも動かさず、心のみ念ずる。
  5. 光明念誦
    声を出す時も出さない時も、常に口から光明を出すように念想して唱える。

意(心に観念を凝らす)

代表的な観法(瞑想法)として阿字観(あじかん)があります。梵語の最初の「阿」字は、あらゆる事象の根本を含むとして、その阿字を観ずることによって生滅のない実在を体得できるとされています。

護摩とは

密教の基本的修行に、「四度加行(しどけぎょう)」というのがあります。真言密教の最高の秘法を受ける儀式「伝法灌頂(でんぽうかんじょう)」に入壇(にゅうだん)する前提の修行で、十八道(じゅうはちどう)・金剛界(こんごうかい)・胎蔵界(たいぞうかい)・護摩(ごま)の四種の修法のことです。これはお大師さまが師の恵果阿闍梨の教えに従って定めたものである。

 護摩法はその一つで、「護摩」とは、サンスクリット語の「ホーマ」を音訳して書き写したものです。もともとインドでは、紀元前2000年頃にできたヴェーダ聖典に出ているバラモン教の儀礼で、紀元前後5世紀ごろに仏教化したといわれています。炉に細く切った薪木を入れて燃やし、炉中に種々の供物を投げ入れ、火の神が煙とともに供物を天上に運び、天の恩寵にあずかろうとする素朴な信仰から生まれたものです。

 火の中を清浄の場として仏を観想し、護摩壇に火を点じ、火中に供物を投じ、ついで護摩木を投じて祈願する外護摩と、自分自身を壇にみたて、仏の智慧の火で自分の心の中にある煩悩や業に火をつけ焼き払う内護摩とがあります。また、その個別の目的によって一般的には次の5種に分類されます。

1. 息災法(そくさい-ほう)

災害のないことを祈るもので、旱ばつ、強風、洪水、地震、火事をはじめ、個人的な苦難、煩悩も対象となる。

2. 増益法(そうやく-ほう)

単に災害を除くだけではなく、積極的に幸福を倍増させる。福徳繁栄を目的とする修法。長寿延命、和合(縁結び)もその対象であった。

3. 調伏法(ちょうぶく-ほう)

怨敵、魔障を除去する修法。悪行をおさえることが目的であるから、他の修法よりすぐれた阿闍梨がこれを行う。

4. 敬愛法(けいあい-ほう)

調伏とは逆に、他を敬い愛する平和円満を祈る法。

5. 鉤召法(こうちょう-ほう)

諸尊・善神・自分の愛する者を召し集めるための修法。

加持とは

お大師さまは、雨乞い、病気平癒、諸事業の完成、国事の安泰などの目的で、その生涯のうちに51回祈祷しさまざまな効験を現しました。

 密教では特に「加持祈祷(かじきとう)」といいます。「加持とは、古くは仏所護念といい、または加被(かび)という。しかれども未だ委悉(いしつ)を得ず。加は往来渉入をもって名となし、特は摂して不散をもって義を立つ。即ち入我我入(にゅうががにゅう)是れなり」とお大師さまが『大日経開題(だいにちきょう-かいだい)』で述べられているように、密教でいう加持祈祷は、世間一般の多くの祈祷がそうであるように自己の願望達成のためだけに仏を利用し手段化するのでなく、本尊に全身心を傾けて帰依し、自己を空しくして三昧に入り、本尊と入我我入することが肝心です。

 そのため、心だけ、あるいは言葉だけで行いうるものではなく、自己の身体・言語・精神の三つの活動を集中し、大宇宙のそれと合致させ、仏と一体にならなければなりません。それが、「三密加持」の修法となります。密教では、「加持」は、仏の慈悲が信仰する者の心に加えられ、信仰者がその慈悲を自らの信仰に信心によって感じとることを言っているのです。

 空海の治病観は、『十住心論(じゅうじゅうしんろん)』に「身病多しといえども其の要は六つ、四大(しだい)・鬼・業是れなり。心病おおしといえども其の本は唯一つ。いわゆる無明(むみょう)これなり」と述べ、四大の不調和を治すには薬があるが、心の病、霊的なたたりの病や業病は経典や真言曼陀羅(まんだら)によらなければならないとしています。

十住心とは

密教は曼陀羅(まんだら)の世界を説く教えです。しかし、曼陀羅の世界は真実在であっても、われわれにとってはまだ開顕されていないので、秘密の世界であります。ところが、この秘密の世界は、あくまでもこの自分自身の心の内奥に深く秘められているのです。

 お大師さまは、この真言密教の思想的基盤ともいうべき人間の心の世界を総合的に追究し『秘密曼陀羅十住心論』およびこの書を要約した『秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)』を著しました。

 その中でお大師さまは、われわれ人間の精神を、その発達段階ごとに十に分類して、未発達の動物的な精神状態から、次第に向上してゆき、倫理的世界、宗教的世界へと進み、ついに仏性を開顕した宗教的な絶対の人格を完成する世界に到達することを明らかにしています。十住心体系は、すぐれた意味において普遍的宗教をめざしています。しかも、その普遍的なるものは、個々の思想を否定的に統一したものではなく、相対的並列的にではなく絶対の立場において肯定的に統一したのである。絶対とは、あらゆる心の世界、すべての諸思想を内につつみ込みながら、全体的世界像としてそれらを越えているところの絶対なのです。それが深秘の秘密荘厳(ひみつしょうごん)、すなわち曼陀羅世界なのであります。

第一住心 ・・・
異生羝羊心(いしょうていようしん=倫理以前の世界)
存在の本能的段階
第二住心 ・・・
愚童持斎心(ぐどうじさいしん=倫理的世界)
儒教的道徳のめばえ
第三住心 ・・・
嬰童無畏心(ようどうむいしん=宗教心のめざめ)
単純倫理から宗教的世界観へ
第四住心 ・・・
唯蘊無我心(ゆいうんむがしん=無我を知る)
声門乗(しょうもん-じょう)の段階
第五住心 ・・・
抜業因種心(ばつごういんじゅうしん=おのれの無知を除く)
緑覚乗(えんかく-じょう)の段階
第五住心 ・・・
抜業因種心(ばつごういんじゅうしん=おのれの無知を除く)
緑覚乗(えんかく-じょう)の段階
第六住心 ・・・
他縁大乗心(たえんだいじょうしん=人々の苦悩を救う)
法相(ほっそう)宗の段階
第七住心 ・・・
覚心不生心(かくしんふしょうしん=一切は空である)
絶対肯定の空(くう)観
第八住心 ・・・
一道無為心(いちどうむいしん=すべては真実である)
天台法華(てんだいほっけ)の境地
第九住心 ・・・
極無自性心(ごくむじしょうしん=対立を超える)
華厳(けごん)的世界観
第十住心 ・・・
秘密荘厳心(ひみつしょうごんしん=無限の展開)
真言密教・大日如来の世界